| 見出 | 名 前 | 説 明 | 生 没 年 | 販売中の 商品 |
| あ | 赤膚焼 | 天正年間大和郡山城主であった豊臣秀長により、五条村赤膚山に開窯したと伝えられる。 遠州七窯の一つ 赤膚焼は名の如く、器肌に赤みを帯びている。名の由来はその器肌という説と地元の地名から来たという二説がある。その赤みを帯びた器に乳白色の萩釉を掛け、奈良絵と呼ばれる絵付けをした物が知られる。 現在も作陶がおこなわれている |
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| 安分以養福 | 分を安んじ持って福を養う 分を守り善い行いをする 諸悪莫作衆善奉行と同義 |
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| い | 一后 一兆 | 輪島の塗師 | 1871 | |
| 伊万里 | 初期伊万里、古伊万里、伊万里と概ね3世代に区分けしている有田地方の磁器 伊万里は幕末から現在 | 19c~ | ||
| う | 裏千家 | 宗旦が不審庵を3男江岑に譲り隠居し4男仙叟と別に住まった この庵開きの清巌宗渭との故事より今日庵と称す 宗旦没に伴い裏千家が始まる | 裏千家 の道具 |
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| 有隣斎宗守 | 昭和16年に女婿として武者小路千家に入る 昭和28年(1953)10代家元 平成元年(1989)、家元を長男不徹斎に譲り宗安を名のる | 1913~1999 | ||
| え | 江戸千家 | 如心斎の高弟であった川上不白が師の没後江戸で蓮華庵を開く | ||
| 圓能斎 宗室 | 裏千家13世 12世又?斎 宗室の長男 15歳で家督を継ぐ | 1872~1924 | ||
| 遠州流 | 織部に茶を学んだ大名 大名などに茶を教えた | |||
| 永楽 即全 | 土風呂師 永楽家16代 15代永楽正全現在は17代 千家十職 作品そのものの評価高い 交趾釉を使った器物の制作も多い |
1917~1998 | 八橋絵茶碗 皿 乾山写 梅 交趾竹 蓋置 |
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| 永楽 善五郎 |
永楽家17代当代 | |||
| 江戸切子 | 江戸時代末から今日まで江戸を中心に伝えられてきたクリスタルガラスのカット技法 江戸期のクリスタルガラスは鉛分が多くその為非常に重いガラスとなっている比重4.5またガラスに鉛がそのまま残る場合、気泡が多い等の幼稚なものであったが明治に入り外国の技術を導入し各段の進歩をした その後ソーダガラスにとって代わり 一般ガラス製品が製作されるにおよび似たようなものとしてプレスガラスがある 現在では東京都の伝統工芸品として薩摩切子と双壁 高級ガラス芸術品となっている |
幕末~現代 | 義山切子丼 |
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| お | 9代 大樋 長左衛門 |
8代の長男 昭和52年鵬雲斎家本より陶土斎の号を受ける | 1901~1986 | |
| 大樋 年朗 10代 大樋 長左衛門 |
大樋焼9代大樋 長左衛門長男 1987年大樋 長左衛門10代襲名 | 1927~ | 飴釉 茶碗 |
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| 表千家 | 宗旦隠居に伴い不審庵を引き継ぎ今日庵成立により表側に合ったので表千家となる | 表千家 の道具 |
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| 大徳寺 黄梅院 |
大徳寺塔頭 信長父信秀の弔いのため創建されたが信長の死去に伴い総見院殿を菩提寺とし、別に創建したため ここを黄梅院とし再興 茶室昨夢軒がある | 1561~ | ||
| 奥村吉兵衛(12代 | 千家十職 表具師 | |||
| 大西 清右衛門 15代 浄心 |
御釜師 大西家15代 | 1924~2002 | ||
| 大西 定林 |
大西家 2代浄清 子 江戸大西家 初代 大西五郎左衛門という | ~1727 | ||
| 大樋 長楽 8代 |
初代大樋長左衛門が金沢大樋村に築窯 7代大樋道忠の子 9代大樋勘兵衛の父 | 1902~1991 | ||
| か | 覚々斎宗左 | 表千家6代 久田家3代徳誉斎宗全の子 | 1678~1730 | 古備前茶入 |
| 閑翁 宗拙 | 宗旦の長男 能書家 | ~1652 | ||
| 川端 近左(6代) | 当代 大阪市在住 京都市立芸術大学卒 5代川近左に師事 初代は屋号近江屋名前を佐兵衛といい京都で油を商っていた趣味人 その長男が川端玉章次男が漆匠を継ぐが蛤御門の変のとき大阪に移転 5代が1999年に亡くなり2000年9月6代襲名 | 1947~ | ||
| 梶浦 逸外 | 妙心寺第23代管長 岐阜正眼寺師家 正眼短期大学学長等歴任(正眼短期大学現理事 鵬雲斎 宗室) | 1896~1981 | ||
| 堅手茶碗 | 高麗茶碗の1種 手触りが堅いので堅手 ほかに柔らかいものを柔手と称す 釉薬は青灰色のものが多い | 李朝 堅手茶碗 | ||
| 角藤 弘悦 | 輪島漆器の伝統工芸士 本名 研児 人間国宝 赤地友哉に師事 各種賞を受賞 | |||
| 陽炎園 | 遠州7窯の一つ 一時途絶えていた膳所の窯を岩崎健三と、時の日本画壇の巨匠、山元春挙により陽炎園として1919年再興した陶工房 | 1919~ | ||
| き | 菊池 政光 | 伝統工芸士 釜師 山形市在住 | ||
| く | 黒田 正玄 (13代) |
代々続く竹細工師の13代 1966年父 正玄本名「久万吉」 千家十職 | 1936~ | 竹蓋置 |
| 黒田 宗傳 | 奇竹堂・黒田宗傳 茶ノ湯竹器師 千家十職黒田家の分家 | 竹蓋置 | ||
| 久隅 守景 | 生没年不明 活躍期は江戸初期 狩野探幽に学び 彼自身の感性による絵画制作に転向したことから狩野派を破門される あるいは師が久隅 守景の才能を画一的な狩野派から解き放ったのかも知れない 英一蝶と並び称される 夕顔棚納涼図屏風は国宝指定 |
不明 | 水墨 葦雁図 | |
| け | 玄々斎宗室 | 裏千家11代家元 三河奥殿 松平家6代乗友の5男 1819年認得斎の養子 1826年家元継承 大徳寺黄梅院 大綱宗彦 と交友関係 |
1810~1877 | |
| こ | 古染付 | 中国 明代末に日本からの注文により 雅味にあふれた呉須染付磁器がもたらされた できが悪く 角に釉薬のとれた部分 虫喰いができることがある |
明末 | 四方染付茶巾筒 |
| 江岑 宗左 | 表千家4代 宗旦3男 | 1613~1672 | ||
| 小林 太玄 | 大徳寺 塔頭 黄梅院 住職 | 1938~ | 茶杓 福寿 茶杓 翠 |
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| 駒沢 利斎 | 千家十職 指物師 | |||
| 高麗茶碗 | 朝鮮半島の茶碗の総称 井戸、粉引、など朝鮮半島から渡った茶碗はその形体、色土により多く分類されている その分類でどこにも属さない物を高麗としている 日本の茶道が書院の茶から利休の侘び茶になり当時多数輸入された茶碗が伝世している |
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| 高麗青磁 雲鶴 |
高麗青磁は中国より渡来した中国人より12世紀ごろ請来された 初期の焼物は秘色といわれる澄んだ青であったが年代を経て高麗朝末期には青磁の色、この鉢のように雲鶴も乱れ李氏朝鮮建国とともに絶えた 伝世はほとんど無い(納まる場所に納まっているもの以外) 土中のためカセがある 真贋は模様、形、カセ具合による |
高麗青磁雲鶴 鉢 | ||
| 交趾 焼 | ベトナム 中国南部の焼物 黄、紫、緑、青、白、などの細かい貫入の入る釉薬のかかった焼き物 茶の湯では香合にとりあげられている | 交趾写竹蓋置 | ||
| 児玉 果亭 | 信州下高井郡生まれ 佐久間雲窓に画を書を小野沢蕙斎に習う | 1841~1913 | 水墨 梅図 | |
| 古伊万里 | 江戸中期から幕末に至る有田地方磁器 | |||
| 香 合 | 香を入れる蓋付の小箱 木、金属、陶器、等で作られる 古くは適当な大きさの入れ物を代用(朱肉入れ、化粧品等の容器) | |||
| 呉須 染付 | 明末の民窯雑器 似た物に呉須赤絵がある | 鳳凰図 皿 | ||
| さ | 茶 道 | 書道、華道、香道、柔道、剣道と道の付く動作、教養 習事は多い いずれも道といい精神面の向上をめざしている 茶では茶禅一味といい禅と結びつき室町時代の遊興の茶から紹鴎に始まる精神の茶 道となる | ||
| 坐忘斎宗室 | 裏千家16代 当代家元 鵬雲斎長男 | 1956~ | ||
| 佐藤 清光 | 山形市生まれ人間国宝根来実三に師事 日本画を高橋立洲人に学ぶほか 俳画もたしなむ 昭和28年日展初入選以後各賞受賞 |
1916~1996 | ||
| 坂倉 新兵衛 14代 |
江戸初期に朝鮮より毛利家の招きにより来日した李勺光より始まる萩焼の窯元 坂 高麗左衛門家は李勺光の弟 当代は15世 |
. ..~1975 | ||
| 笹の葉茶杓 | 茶篭に仕込む茶杓は趣味性が強く形もたくさん知られてる 笹の葉 芋杓 彫物 振出 文字入 二つ繋 材質は象牙が多い ほかに木地、竹 | |||
| し | 初期伊万里 | 李参平に始まる有田地方の磁器 江戸初期から中期 | ||
| 如心斎宗左 | 表千家7代 覚々斎の長男 大龍より天然の号を授けられる | 1705~1751 | ||
| 少 庵 | 千家2代 利休2男 秀吉茶頭 | 1546~1614 | ||
| 而妙斎宗左 | 表千家14代 当代 即中斎の長男 方谷浩明より而妙斎の号を受ける | 1938~ | ||
| 直斎 宗守 | 利休孫宗旦の次男一翁より 武者小路千家7代家元(堅叟宗守)6代真伯宗守の養子 九条家出身 | 1725~1782 | ||
| 尋牛斎宗也 | 高倉 久田家 12代 11代無適斎長男 | 1925~ | ||
| す | 随流斎宗佐 | 表千家5代 宗旦息女くれの子 左の字に人偏あり | 1650~1691 | |
| 杉田 祥平 3代 |
1914~ | |||
| 杉田 祥平 4代 |
清閑寺窯 4代陶工 京焼の窯元 京都東山茶碗坂 師父3代祥平 平成13年4代襲名 清閑寺窯印を裏千家鵬雲斎家元より拝領 | 1942~ | 水次 仁清写 片口 |
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| 鈴木 光入 | 塗師 1450年から象彦で修行し1967独立 | 1923~ | 六瓢蒔絵大棗 |
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| 鈴木 光入 2代 |
塗師 京都生 師初代光入 2000年2代光入を襲名 | 1945~ | ||
| せ | 清風 与平 4代 |
定室技芸員 3代与平の2男 京焼作家 師父 | 1871~1951 | |
| 千家十職 | 千家に道具を提供している職方で代々同じ名前 陶工 楽吉左衛門、 釜師 大西清右衛門、 塗師 中村宗哲、 指物師 駒沢利斎、 金物師 中川浄益、 袋師 土田友湖、 表具師 奥村吉兵衛、 一閑張細工師 飛来一閑、 柄杓師 黒田正玄、 土風炉師 永楽善五郎 |
交趾竹 蓋置 |
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| 惺斎 宗左 | 表千家12代 碌々斎長男 | 1863~1937 | ||
| 清巌 宗渭 | 大徳寺第170世 宗旦参禅の師 今日庵命名の故事あり | 書軸 雲門法語 | ||
| 雪窓 宗甫 | 姓 小田 大徳寺第506世住職 室号蔵暉室 12歳で 鳥取市廣徳寺の杉原春窓和尚について得度 大正十年、京都妙心僧堂に掛搭 翌年後藤瑞巌老師に随侍、瑞巌老師より嗣法 | 1901~1066 | 竹 茶杓 銘 瑞雲 |
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| 瀬戸 焼 | 現瀬戸市一帯の焼物 平安期の須恵器に始まり鎌倉期の施釉陶器 桃山期の美濃焼 茶陶 と日本を代表する焼き物の総称としても用いられる | 一重口水指 肩衝茶入 |
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| そ | 即中斎宗左 | 利休孫宗旦の三男江岑より 表千家13代家元 12代惺斎宗左次男 現家元 而妙斎宗左 |
1901~1979 | 茶杓 若葉 |
| 啐啄斎宗左 | 表千家8代 如心斎長男 禅を無学宗衍について修める | 1744~1808 | ||
| 宗 旦 | 千家3代 少庵の子 参禅の師は春屋 宗園 侘び茶の大成者 | 1578~1658 | ||
| 宗偏流 | 宗旦4天王の一人山田宗偏により創められる | |||
| た | 大綱 宗彦 | 大徳寺第四三五世住持 黄梅院十四世 和歌、茶の湯に親しみ その詠草、書、茶杓など数多く残した | 1772~1860 | |
| 道 安 | 利休の長男 春屋 宗園に参禅 | 1546~1607 | ||
| 田中 仙樵 | 大日本茶道学会創設者 3代会長 現在会長は4代田中 仙翁 初代会長は禅学者であった鳥尾小弥太 建仁寺黙雷老師より印可 |
1875~1960 | 伊賀 花入 | |
| 田中 仙翁 | 大日本茶道学会4代会長 田中 仙樵孫 | |||
| 大日本 茶道学会 |
田中 仙樵により明治31年設立 初代会長は禅学者であった鳥尾小弥太 旧態依然の茶道会に 各流儀の相互研究を行うこと 師伝にたよる子弟教育を書物による解りやすいものに変革 本部 東京新宿左門長 | 大日本 茶道学会 の茶道具 |
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| 田崎 昭一郎 |
輪島塗の漆芸作家 日展入選多数 一后一兆、張間麻佐緒、小田原俊雄に師事 | 1931~ | ||
| 淡々斎 宗室 |
裏千家14世 圓能斎長男 無限斎碩叟とも称す | 1893~1964 | 軸 清風入簾来 |
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| 高橋 敬典 | 釜師 人間国宝 | |||
| 高橋 悦道 | 明星寺(滋賀県大津市 臨済宗大徳寺派)住職 | |||
| 高野昭阿弥 (2代) |
京都生まれ 父初代昭阿弥について修行 茶道具の製作 清水焼 清雅堂陶苑 | 1941~ | ||
| ち | 茶平 一斎 (2代) |
輪島の塗師 師は前代父 | ||
| 澄 月 |
江戸中期の僧 俗姓は西山氏出家し智脱と称した。別号を垂雲軒・酔夢庵・風真軒・融阿と称した。 |
1714~1798 | 初春松 和歌懐紙 |
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| 茶巾 筒 | 茶箱 茶篭に仕込む茶巾を入れるもの 湿り気のある茶巾を入れることから 材質は水に強い焼物、南鐐など金属で作られたものが多い | 四方染付 茶巾筒 |
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| 茶 杓 | 茶をすくう匙 材質=竹、象牙,木、金属 べっ甲などでつくられる また、用途から真行草と分類され 真=象牙、節無 行=元節 草=中節 | 茶 杓 | ||
| 茶 器 | 抹茶を入れる容器 濃茶点前に用いる茶入、薄茶点前に用いる棗などがある | 茶 器 | ||
| つ | 堆 朱 | 木、金属等の器体に漆を何回も重ねて塗り漆の層が厚くなってから模様を彫り出したもの 朱漆の場合堆朱 黒漆の場合を堆黒と呼ぶ 漆を彫ることから 彫漆ともいう 古来中国から伝わり東山文化で重視された物故 明時代のものが多い 鎌倉彫、村上堆朱は漆層の形成を省き木彫りの上に漆を拭いて制作している 日本では 玉緒象谷 ら著名な作家がいた |
堆朱 布袋香合 |
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| て | 天祐 紹杲 | 大徳寺169世 号・夢伴子 大徳寺梅厳院、和泉徳源院を創立 師 万江宗程 |
1586~1666 | |
| 帝室技芸員 | 明治23年制度が創設され昭和19年を最後に廃止された 日本画、洋画、彫刻、工芸、建築、写真、の各部門があった 茶道に関係する工芸部門では板谷波山、伊東陶山、3代清凬與平、諏訪蘇山、初代真葛香山の5名をかぞえる 戦後重要無形文化財保持者制度として引き継がれたが指定人数が大幅に増えた |
1890~1944 | ||
| 手塚 充 | 京都生まれ 師父 手塚玉堂 2001年大徳寺管長 高田明浦老師より窯名花蝶窯 号石雲を頂く 桐鳳は以前の号 |
1942~ | 菖蒲文茶碗 武蔵野文茶碗 |
|
| と | ||||
| な | 中村 不折 | 最初フランスのアカデミー・ジュリアンに入学し、ジャン。ポール・ローランス(1838-1921)に師事、約4年間人物画を学ぶ、洋画家として出発した不折がその後書道研究に傾倒し中国古代の石碑から多くを学んだ 太平洋美術学校校長として後進の育成にも力を入れ、多くの逸材を育てた。 長野県伊那市高遠町出身 |
1866~1943 | 七賢清遊図 軸 |
| 中川 浄益 (10代) |
千家十職の金物師10代 | 1880~1940 | ||
| 中川 浄益 (11代) |
千家十職の金物師11代 十代浄益(淳三郎・紹心の長子 南鐐、等の金属により建水,蓋置、水指、灰匙等の制作を行う 1941年11代襲名 |
1920~2008 | ||
| 中村 祖順 | 愛媛県三崎町出身 9歳で八幡浜市大法寺西山琢道和尚について得度 昭和21年4月妙心僧堂に掛搭 近藤文光老師に嗣法 36年3月安土摠見寺住職 42年10月大徳僧堂師家 54年10月大徳寺管長 坐忘斎宗匠の師 | 1922~1983 | ||
| 中村 宗哲 6代 揲斎 |
1794~1839 | |||
| 棗 | 抹茶を入れる蓋付の容器、薄茶点前に用いられる 漆器がほとんどであるが、木地、陶器、ガラス、金属などもある 形が棗の実に似ることから棗と呼ばれるようになった なお濃茶に使う場合は袋をかぶせる | |||
| に | 西垣 宗興 | 大徳寺派 萬年山 極楽寺の前住職 明治41年岐阜生まれ 新寿庵にて得度 道号 文山 | 1908~1985 | 軸 時雨洗紅葉 |
| 西村 宗筌 |
千家十職の永楽家の祖先 室町時代末期から、土風炉師として活躍。 初代西村宗禅より11代保全までは、西村姓を名乗る 永楽姓は、12代和全の途中から始まる 宗筌は西村家5代 |
~1697 | ||
| 西田 幾太郎 |
哲学者 京都大学教授 | 1870~1945 | ||
| は | 橋本 城岳 | 京都生 師父城岳 2003年2代城岳襲名 乾山窯が京都鳴滝にあったことから その地に鳴滝窯として1955年築窯 1957年五条坂に移転 | 1940~ | |
| ひ | 久 田 家 | 初代宗栄にはじまる表千家流の茶家 宗栄の母は利休の妹と伝えられる 秀吉により茶頭となり現在12代尋牛斎 宗也 京都市中京区二条下ル高倉通に住居があり高倉久田家とも称される | ||
| 備前 焼 | 6古窯の一つ 岡山県伊部地方において鎌倉時代より焼かれはじめる 焼き締め 無釉陶器で現在にいたる |
|||
| 飛来 一閑(16代 | 千家十職 一閑張細工師 | 1963~ | ||
| 平兮 伯道 | 大徳寺長老 福岡 宝光山 渓雲寺 住職 | |||
| ふ | 蓋 置 | 釜の蓋を置く台であるが柄杓を置くのにも使われる。材質は竹、陶器、金属 棚などに飾る場合は竹の花押入り、金属、陶器など |
交趾 竹 蓋置 |
|
| 藤田 寛道 | 大徳寺 塔頭 雲林院住職 | 1926~1985 | 雪月花 茶杓 茶杓喫茶去 |
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| 藤本 能道 | 東京都出身 陶芸家 富本憲吉 加藤土師萌に師事 1986年人間国宝(色絵磁器) 1985ねんから東京芸術大学学長を務める | 1919~1992 | ||
| 藤原 雄 | 陶芸家 平成8年、重要無形文化財(人間国宝)「備前焼」保持者 藤原啓長男 親子2代人間国宝 子息和も陶芸家 | 1932~2001 | 酒飲 |
|
| 藤井 誡堂 | 大徳寺515世 三玄院住職 | 1901~1992 | ||
| 不染斎 宗吾 |
松尾流10代 9代宗見の長男1917家督継承 茶室建設、造園に優れる | 1899~1972 | 萬家太平春 軸 |
|
| へ | 碧巌録 | 雲門法語 軸 |
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| ほ | 鵬雲斎 宗室 |
裏千家15代家元 14代無限斎宗室の嫡子家督を平成14年12月嫡男坐忘斎に家元を継承し、千 玄室に改名 | 1923~ | 鵬雲斎好 六瓢釜 八橋絵茶碗 金瓢蒔絵 大棗 交趾竹 蓋置 |
| 堀内 宗完 | 初代長生庵仙鶴が覚々斎に師事 表千家堀内家12代(兼中斎 宗心) 11代幽峯斎宗完弟 | 1919~ | ||
| 本手 瀬戸唐津 茶碗 |
瀬戸唐津には本手と皮鯨手と呼ばれる口縁に鉄釉で化粧した2種類がある 瀬戸産ではなく唐津産となっている 古窯跡の発掘において同様の破片の発見がないため産地不明 そのため発掘品は無いようだ 皮鯨手と本手では釉徴、形に違いがあり同一とはしがたい 今後の研究課題 | 桃山~ 江戸初期 |
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| 細合 喝堂 | 大徳寺 塔頭 龍源院 住職 | 茶杓 松風 | ||
| 布 袋 | 中国明州の禅僧 常に杖を持ち 大きな布袋に身に回り品を入れている 着物からはみ出す大きな腹の福徳円満な人柄で子供から老人に至る全ての人に愛されていた 弥勒の化身として信仰され、その風体から絵の題材ともなっている | ~916 | ||
| 本手 斗々屋茶碗 |
李朝時代に始まる高麗茶碗の一種 深めの杉形茶碗で縁下が天目茶碗のように膨らんでいる 薄い釉薬を掛けて焼成しているため土の色がそのまま表れているものが多い 轆轤引き揚げによる細い筋が多い 時に数は平茶碗が多数を占める 利休斗々屋は特殊 | 16c | ||
| 堀江 知彦 | 東京生 東京帝室博物館 二松学舎大学教授 古書籍研究者 | 1907~ | ||
| ま | 真葛 香山 (初代) |
宮川香山とも呼ばれる 京都生 父宮川長造4男 横浜太田に開窯 1896年帝室技芸員を拝命 陶芸部門で3代清風与平に次2人目 | 1842~1916 | |
| 真葛 香斎 (2代 |
5代宮川香斎 東京生 先代娘美津と結婚 昭和47年即中斎より真葛印を受け2代真葛香斎を襲名 茶を無適斎、尋牛斎 に習う 2002年養子和男に代を譲り隠居 治平を名乗る | 1922~ | ||
| 円山公園 | 京都府により明治19年公園となる 現在は京都市が管理 知恩院と八坂神社の間に位置する公園 園内は回遊式庭園となっている 祇園枝垂桜は有名 | 1886~ | ||
| 松永 剛山 | 大徳寺塔頭 高桐院 住職 慶長6年細川忠興が創建 書院は千利休の邸宅を移築したもので、茶室松向軒は秀吉が天正15年に北野で大茶会を催したときの茶室と伝わる | |||
| 松尾流 | 覚々斎の弟子 楽只斎 宗二は尾張の茶指導をまかされ京都、尾張を行き来していたが7代好古斎のとき幕末動乱で京都の家の焼失に伴い名古屋へ | 松尾流 の茶道具 |
||
| み | 宮川 香雲 (2代 |
初代香雲が宮川香斎(真葛香斎)家より分家し京焼き色絵を特徴とする 昭和55年2代宮川香雲襲名 |
1938~ | 高台寺紋 香合 |
| 三浦 竹軒 3代 三浦 竹泉 |
初代三浦 竹泉の3男 2代が早世したため3代竹泉を襲名 2代三浦 竹泉の長男に4代三浦 竹泉を継がせ 自身は初代竹軒を名乗る 号は篩月庵 | 1900~1990 | ||
| 5代 三浦 竹泉 | 4代三浦竹泉長男師父京都五条坂生まれ 同志社大学文学部卒業。日本文化史及び美学・芸術学を専攻 煎茶道具制作 篩月庵 昭和47年5代竹泉襲名 | 1934~ | ||
| 三輪 晁勢 | 日本画家 1979年芸術院会員 新潟県長岡市生 師堂本印象 | 1901~1989 | ||
| む | 武者小路 千家 |
宗旦二男宗守が養子先から戻り 宗旦隠居後開いた官休庵より始まる | 武者小路 千家の 茶道具 |
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| 無適斎 宗也 |
高倉 久田家11代 | 1884~1946 | ||
| め | 明堂 宗印 | 大徳寺519世 | ||
| や | 矢口 永寿 初代 |
加賀 山中温泉の子として生まれる 祥瑞 乾山 京焼を学び茶陶を作る 清々軒と号す | 1870~1952 | |
| 山崎 光隆 2代 |
工芸家 金工 京都市上京区在住 | 1938~ | ||
| 山口 浄雄 | 釜師 十代名越昌晴の門人、後十一代名越昌次を嗣ぐ。鋳金家協会会員、茶道具を得意とする。 | ~1952 | 椎の実 火箸 | |
| 山岸 主計 | 木版画の彫り師。1913年から16年まで、新聞挿絵の彫りを担当。26年から数年間、欧米各国を旅行し、風景版画を多数制作。近代的な創作版画家として欧米でも高い評価を得る。長野県伊那市出身 |
1891~1984 | 鵜飼 版画 ひよこ 版画 |
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| ゆ | 友流斎 宗巴 | 随流斎の後継であったが夭折 | 1667~1689 | |
| よ | 楊輝荘 | 松坂屋百貨店の創始者である伊藤次郎左衛門祐民が、大正から昭和初期にかけて名古屋覚王山に建設した別荘 庭園と建物が、平成18年度末に名古屋市に寄贈された |
萬家太平春 軸 |
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| ら | ||||
| り | 利 休 | 納屋衆田中与兵衛の子 茶を北村道陳に師事笑嶺 宗訴に参禅し宗易の号を受ける 信長、秀吉の茶頭として仕える 今井宗及、津田宗及とともに3宗匠といわれる 侘び茶の大成者 | 1522~1591 | |
| 龍源院 | 大徳寺の塔頭 1502年東渓宗牧の開山 本堂他の建物が重文指定されている 又 長谷川等伯の猿猴図が有名 | |||
| ろ | 碌々斎 宗左 | 表千家11代 吸江斎長男 | 1837~1910 |
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