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表千家は
表千家茶道具
表千家歴代家元および 久田家、堀内家を含めました 電話、FAX、メールでお問合ください |
京都市中京区二条通柳馬場 東入晴明町661-403 電話 075-634-4772 FAX 075-634-4782 |
代 |
名 号 |
概要 |
生没年 | 家元 期間 |
落款 花押 | |||||
初代 |
千
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千家初代 侘び茶の大成者 田中与兵衛の子 堺生 茶の師 武野紹鴎 禅の師 大林宗套 笑嶺宗訢 古溪宗陳 弟子 |
1522 -1591 2月28日 |
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千道庵
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利休長男 利休長男先妻の子 大徳寺春屋宗園に参禅 秀吉の茶頭 道庵風炉、道庵囲で知られる | 1546 (天文15年) -1607 (慶長12年) |
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2代 |
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利休次男 後妻宗恩の子 大徳寺蘭叔宗秀に参禅秀吉の茶頭 本法寺前に屋敷を得 不審庵を継ぐ | 1546 -1614 |
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3代 |
千
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少庵の子 茶を父少庵に学ぶ。 春屋宗園、玉室宗珀に参禅。 1600年頃少庵より不審庵を継ぐ。 1646年不審庵北に今日庵を建て不審庵を3男、江岑宗左に譲り隠居、1653年又隠を建て4男仙叟宗室に譲る。 侘茶の大成者、茶禅一味の人。 |
1578 ~1658 |
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4代 |
江岑
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宗旦の3男 宗旦の後妻宗見の子。沢庵,玉舟の推挙で紀州徳川家の茶頭となる。 江岑夏書を書く。宗旦の茶の話が書かれている。 |
大徳治 185世 玉舟宗璠 |
1613 -1672 |
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5代 |
随流斎
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久田家からの養子 久田宗全の弟。 宗旦の娘くれの子。 左の字に人偏が有る。 宗巴、号良休 花押は未不主(未だ主不ずを)円で囲ったと云われている。 |
1650 (慶安3年) ~1691 (元禄4年) |
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6代 |
覚々斎
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江岑 の庶子、友流斎を継後嗣としたが、夭折したため久田宗全の子を養子とした。 参禅の師 大心。 、 |
1678 (延宝6年) - 1730 (享保15年) |
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7代 |
如心斎
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8代 |
啐啄斎
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如心斎長男 幼名与太郎 8歳で父を亡くし14才で家督相続後見人に一燈、不白 |
1744 (延享1) ~1808 (文化5) |
1758 (宝暦8) ー1804 (文化1) 60で隠居宗旦を名乗る これ以降歴代が宗旦を名乗る |
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9代 |
了々斎
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10 代 | 吸江斎 宗左 |
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11代 |
碌々斎
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吸江斎の長男 1855年父 吸江斎の隠居により家督相続 1892年隠居 |
1837 -1910 |
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12代 |
惺斎
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碌々斎の長男。 幼名与太郎。 号 敬翁。19才判は員と与太郎の与から作られた判を29才まで。 30才で家督相続 飛行機判を51才まで使う。 52才以降自動車判を使う。 |
1863 (文久3年) -1937 (昭和12年 7月15日 75才 |
1893 (明治25)-1937 (昭和12、7月) |
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13代 |
即中斎
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惺斎次男。幼名 覚二郎。 昭和11年長男不言斎宗員が40才で他界。 |
1901 (明治34) 〜1979 |
1937 (昭和12、7月) ー1979 (昭和54) |
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14代 |
而妙斎
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即中斎長男 中央大学文学部卒 大徳寺512世 方谷浩明より而妙斎を受ける。猶有斎に家督を譲り、宗旦を名乗る。 | 1938 (昭和13) - |
1980 (昭和55 2月22日) -2018 (平成30年 2月28日) |
宗員 |
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15代 |
猶有斎
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而妙斎長男。 平成30年2月28日家督相続 | 大徳寺派 14代管長 福富雪底 (雪底宗譯) |
1970 (昭和45年) ー |
2018 (平成30年 2月28日)- |