茶掛一行書 露堂々ろどうどう 長谷川寛州 大徳寺三玄院住職 美術品茶道具からき通販買取販売京都
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長谷川寛州 はせがわかんしゅう memo
大徳寺三玄院 住職
当代のご住職は御子息、長谷川大真さん
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明歴々露堂々 めいれきれきろどうどう メモ
露堂々 は 隠すことが無い。ですが 六字語として、明歴々露堂々とも書かれています。明らかにあらわれて、隠すことが無い。山川草木は何も隠さず そのままの姿を見せている。それが仏性。 茶道は茶禅一味とも云われ その茶三昧を主客味わう事かと思う。
中国宋代の蘇東坡(そとうば)が晦堂祖心(まいどうそしん)に参禅して開悟した時の問答が残されているいる。
原文 駒澤大學佛教學部論集 第50號 令和元年10月 張超 (翻訳:小川隆) を掲載させて頂きました。
晦堂因語次、舉「孔子謂弟子、以我為隱乎? 吾無隱乎爾。吾無行而不與
二三子者、是丘也」。於是請公詮釋而至于再、晦堂不然其説、公怒形於色。
沈默久之。時當暑退凉生、秋香滿院。晦堂乃曰、「聞木犀香乎?」公曰、「聞」。
晦堂曰、「吾無隱乎爾」。公欣然領解。(『羅湖野錄』上、嘉興蔵、続第 178 帙、
第 1 冊、頁 5
晦堂因 ちな みに語る次 おり 、挙 こ す、「孔子、弟 てい 子 し に謂く“我れを以て隠すと為す 乎 か ? 吾れ爾 なんじ に隠すこと無し。吾れ行きて二
に 三 さん 子 し と与 とも にせざる無き者,是れ 丘 きゅう 〔孔丘〕也 なり ”」。是 ここ に於いて公〔黄庭堅〕に詮釈を請 こ うに再に至れど、晦堂、
其の説を然りとせず、公、怒り色に形 あらわ る。沈 ちんもく 默之を久しうす。時 とき 当 あたか も暑 しょ 退 き凉 りょう 生じ、秋 しゅう
香 こう 院に満つ。晦堂乃ち曰く、「木 もく 犀 せい の香 か を聞く乎 や ?」公曰く、「聞 く」。晦堂曰く、「吾れ爾 なんじ に隠すこと無し」。
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元祐七年(1092)、蘇軾と並び称される、北宋の文学者にして書家でもあった
黄庭堅(黄山谷)は、母の病のため、都より故郷である江西の分寧丁憂へ帰り、
当地の黄龍山の晦堂禅師およびその門人たちと親交を結ぶに至った。ある日の
こと、晦堂は、士大夫なら誰でもがいやというほど諳んじているであろう『論
語』述而篇の孔子のことばをとりあげた、「吾れ爾
なんじ
に隠すこと無し。──お前
たちは私が何かを隠していると思っているのか? 私はお前たちに何ら隠す所は
無い。それがすなわち私、孔丘という人間である」と。そこで黄庭堅はこの語
の解釈を再三にわたって述べたが、ことごとく晦堂に斥けられた。黄庭堅は激
しく憤り、また深く懊悩した。互いの長い沈黙がつづく。
その日はあたかも暑気がしだいに退き、涼気がきざしてきた、夏の終わり、
秋の初めの頃だった。庭にはモクセイの香りが満ちている。そこで晦堂はたず
ねた、モクセイの香をかいだか? そこで黄庭堅がはいと答えると、晦堂はさき
ほどの孔子のことばを重ねて述べた。
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茶掛 一行書 露堂々 ろどうどう 長谷川寛州 大徳寺三玄院住職です。
露堂々 は 隠すことが無い。ですが 六字語として、明歴々露堂々とも書かれています。明らかにあらわれて、隠すことが無い。これが仏教の教えである。
状態普通 弱い折れが数本あります。本紙は薄茶色の紙です。蛍光灯の下で撮った落款部分は色が違ってます。実物は薄茶色です。
此の軸は売却済となりました 此のほかの掛軸は 茶掛一行書 禅林墨蹟
隠すことが無い禅語のことにも少し触れました">