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 墨竹 ぼくちく メモ

 
柳緑花紅 松曲竹直 やなぎはみどり はなくれない まつはまがれりたけはなおし
 柳は青く 花は赤い 松は曲がり 竹は直い
 一切衆生悉有仏性と云われる。それぞれ皆 色形は違えど仏の心を宿している。 皆平等

松花堂昭乗 しょうかどうしょうじょう 墨竹画 古画 嘉永三筆 墨蹟
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松花堂昭乗 しょうかどうしょうじょう 男山滝本坊住職の墨竹画です。
江戸初期に活躍され書画を沢山のこされました。この時代の文化人でもありました。
 茶道、誌歌、狂歌、作庭、などを行い、交遊関係も、多彩です。詳しくは下方メモを参考にどうぞ。 
本作品は墨竹を描き、落款、押印ですが、賛を書けるように上部が沢山空いてます。表具裂は江戸初期の物と思われる裂地が使われているように思います。
箱は桐の古箱が有ります。他に江戸後期の古筆鑑定家、大倉好斎の極札が付属しています。
竹は松竹梅と縁起の良い木として、禅でも柳緑花紅 松曲竹直と自然の色々を表しております。
本紙は焼けが有ります。落款 印の色合い写真が実物の色に近いです。

松花堂昭乗 しょうかどうしょうじょう 墨竹画 古画 嘉永三筆 墨蹟
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  竹有上下節 メモ
 出典は夢窓国師語録   五灯会元 など

 便向他道 竹有上下節 松無古今色 とある
 物事の不変を表す語 対句の竹有上下節 は節目のあることを表す

 竹、松共に何時も青々してるが 竹には節がある。松も何年経ても変わらず青々としている。しかしこの2つには 節のある竹、無い松の違いがありながら共に目出度い松竹梅の内にある。
 禅の目的は仏、貴人でありますが、其処に到達するには決まった方法は無いのです。修行者指導者により異なります。、
 
 茶道も抹茶を飲む どの流儀もおなじであるが 点前  の形などそれぞれ異なる
 人も人間として括れば皆同じであるが 考え方 行動 それぞれである 違いを違いとして互いを理解するこ とが肝要なんですかね
 


 大倉好斎 おおくらこうさい メモ

 古筆鑑定家
1795 寛政7年 8月京都生 大倉汲水の長男 幼名 政吉
1811 文政8年 2月落髪 好斎と名乗る。号 古昔庵。
1830 天保1年 8月 紀州徳川家お抱え古筆鑑定家 
1862 文久2年 12月20日歿 68才 

 


 松花堂 昭乗 しょうかどう しょうじょう memo

 1584~1639  男山滝本坊 住職 文化人 書画
 

 1584 天正12年 和泉国堺の生 性は中沼
 1593 文禄2年  近衛信伊に仕える。 兄 中沼左京が一条院門跡 尊勢、信伊の弟に仕えていたことによる。信伊の父、前久に書処を習う。
 1598 慶長3年  石清水八幡宮 瀧本坊実乗について出家、法名を昭乗と改め 密教を修める。後、権僧都宝弁より両部灌頂を受け阿闍梨位
 1615 慶長20年 5月 大阪夏の陣後 狩野山楽を匿う。山楽は武士として豊臣側にて戦う。昭乗は、徳川に山楽は絵師と申し立て放免させる。
             画を山楽に習う。
 1619 元和5年  5月6月 徳川義直と近衛伸尋の対面に尽力
 1623 元和9年  6月 2代徳川将軍 秀忠上洛 準備に携わる。
 1624 寛永1年  近衛伸尋の推挙により 将軍家書道しなんとして 江戸へづ向く
 1626 寛永3年  徳川義直の茶会に参加 公武の間を取り持つ
 1627 寛永4年  師  滝本坊実乗の死(3月23日歿)により瀧本坊住職
 1637 寛永14年 11月 瀧本坊焼失 兄左京の男 弟子 乗淳に譲る。 12月瀧本坊の一隅に松花堂を建立 猩々翁と号し、隠棲して 風雅に過ごす。 1639 寛永16年 10月14日 歿
 嘉永の3筆、江戸初期の文化人。 密教の師 瀧本坊実乗。書,詩歌の師 近衛前久、信伊。画の師 狩野山楽。茶道の師 小堀遠州